フラワーエッセンスの研究室


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Happy Birthday Dr.Bach!

今日は、バッチ博士の119回目のお誕生日。そして、イギリス・ヒーリングハーブ社の設立記念日。さらにさらに、バッチ博士が初めてフラワーエッセンスの講演を行なった日。
そんな特別な日に、マイキ主催で、フラワーエッセンスセミナーが開催されました。

現在、ヒーリング・ハーブ社の創始者で優れた薬草学者でもある、ジュリアン・バーナード氏が初来日中。今日と明日の2日間、バッチのフラワーエッセンスとヒーリングハーブ社について、ジュリアンにみっちりお話ししていただくことになっているのです。

著書などで見かけるジュリアンは何となく気難しいような印象があったのだけれど、実際はとっても繊細でチャーミングで、純粋な人でした。
彼の発しているエネルギーというか、オーラは、近くにいてとても居心地のいいもの。(あれ、この感覚、どこかで覚えがあるぞ)と、何となく思ったりなんかして(^_^)

ジュリアンのレクチャーはとてもわかりやすく、今までの自分の知識で足りなかったこと、忘れてしまっていたことが、自分の中により鮮明にインプットされていくのを、感覚として理解できました。
…でも、まだ初日。セミナーはあと1日あるので、体験談や感想は後日ということで…許してちょ〜だい(^_^;

今日は、セミナー時間を予定より1時間早く終了して、バッチ博士のお誕生日お祝い会を、参加者全員で行ないました。

e0190756_15455769.jpgヒ−リング・ハ−ブ社のロゴ入り特製バースデーケーキを前に、全員でハッピーバースデーの大合唱。
そして、ジュリアンとセミナープログラムを作ったレイチェル・カーター女史によって、ケーキにナイフが入れられます(ちょっとブライダルっぽい!?)。

遠く離れた日本で、死後に誕生日を祝われるなんて、バッチ博士は予想もしなかったはず。

“小泉チルドレン”なんて表現があったけれど、今回のセミナー参加者は、言わば“バッチ・チルドレン”。
「私たちは、あなたの遺した素晴らしい財産を、あなたの意志のもとで、大切に伝え広めていきますよ」と天国のバッチ博士に宣言するかのような、そんな素敵なひとときでした。
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# by planet_plant | 2005-09-24 21:54 | report | Trackback | Comments(0)

菊のしずく 〜和のエッセンス

9月9日は重陽の節句。
9が二つ重なる今日は“陽極まれば陰となる”の、陽が極まった状態の日。
3月3日が桃の節句、5月5日が端午の節句、7月7日が七夕と続き、9月9日は菊の節句とされています。

ネットをあれこれのぞき回っていたら、菊の節句に行なわれるという「菊の被綿(きせわた)」という行事があることを知りました。
菊の節句の前夜、つまり9月8日の夜に、菊の花に真綿をかぶせます。そして翌朝、夜露と菊の香りをたっぷりと染み込んだ綿で、顔や身体を拭うのです。そうすると老いが去り、長寿を保つことができるのだとか。

この行事は古く、平安時代から行なわれているもののようです。『枕草子』には、こんな一文がありました。
九月九日は、暁がたより雨少し降りて、菊の露もこちたくそぼち、おほひたる綿などもいたくぬれ、うつしの香ももてはやされたる。
つとめては止みにたれど、なほ曇りて、ややもすれば、降り落ちぬべく見えたるもをかし。


そして、近世になると、白菊には黄色い綿、黄菊には赤い綿、赤菊には白い綿を使い、また色を変えた小さな綿でめしべやおしべを作って飾りにする…といったような、細かな決まり事があったそうです。

菊は薬効を認められる花であり、菊の花に結ぶ露は、より神秘的な力があると考えられていたとか。
これって、そのまんまフラワーエッセンスじゃありませんか!

日本にも、フラワーエッセンスの考え方が古くからあったんだなぁ…と、ものすごく嬉しくなりました。

菊の節句の前日に行なわなければならない、菊の被綿。
節句の当日に知っても、もう手遅れじゃん!と思う方。どうぞ、ご安心を(^_^)
この行事は、旧暦に合わせた行事。つまり、まだ十分に間に合います。
今年の旧暦9月9日は、現在の暦では10月11日にあたっています。
不老長寿を願う人、日本古来のフラワーエッセンスを試してみたい人は、ぜひ10月10日の夜に、菊に綿をかぶせてみましょ(^_^)
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# by planet_plant | 2005-09-09 17:54 | report | Trackback | Comments(0)

“ほんもの”に触れる

今日は、以前予告しておいた『ジャンピング・マウス』のことについて。

この物語はネイティブ・アメリカンのシャイアン族に伝わるメディスン・ストーリーで、本当の自分を知るために旅に出た1匹の野ネズミが主人公です。
シャイアン族には「自分自身のすべてを大いなるものに与えること、捧げ尽くすことで、自分を高めることができ、自分は何者なのかを知るのだ」という教えがあります。その伝統的な教えを語り継ぐ物語として、この『ジャンピング・マウス』があるのです。

今回、物語の完全版が翻訳されて日本で初公開となったわけですが、そのことについて、翻訳者の北山耕平さんが、このような話をされました。

「100%ネイティブの人たちは、自分たちが何世代も語り継いできた物語を、他の部族・民族に知られたくないと思っています。なぜなら、これらの物語には、自分たちの部族の誇りや価値観、伝統的な生き方がさまざまなシンボルとして描かれているから。土地を奪われ、部族の聖地を奪われた彼らにとって、これらの物語が流出するのは彼らの心までも奪われてしまうことを意味するのです」

「ネイティブの人たちにとって“おはなし”を語り、聴くことは、生きるための知恵を学ぶ場であり、とても重要なものとされています。何世代もの間、語り継がれてきた物語というのは、語られることによって言葉が生きてくるのです。ところが、文字になると、言葉は死んでしまいます。語り部が年老いて亡くなってしまうのと同時に、物語が文字になり本になることで、ネイティブの人々の記憶から、こういった重要な“おはなし”が失われつつあります」

「今、ネイティブの中でも混血がどんどん進んでいて、あと数十年したら、100%ネイティブの人はいなくなるでしょう。混血の人々が、後世に残そうとして物語を文字に表しはじめ、そのことによって私達はこうして日本語訳の物語を手にすることができるけれど、実は非常に矛盾を抱えた、ネイティブの人たちにとっては深刻な問題でもあるのです」

このような内容だったように記憶しているのですが(記憶違いだったらすみません…)、私は、北山さんの話を、いつしかアイルランドのことと重ね合わせて聴いていました。アイルランドにも“おはなし”文化があるのです。
みんなで集って“おはなし”をするときには杖が用意されて、その杖を持った者が必ず何かのお話をしなければならない…というルールがあるのを、テレビの番組だったと思うのですが、見たことがありました。
そして、今やアイルランドでも、そういった昔の伝統的なものが失われつつあるのです。

本当に大切なもの、本質を表すものを後世に伝えたいならば、目に見えないものを、しかるべき形できちんと残していかなければならない…と、何となく思いました。

そんなことを思いつつ、『ジャンピング・マウス』の物語に引き込まれていく私。
目を閉じて、ストーリーテラーの古屋和子さんの語りと、のなかかつみさんによるインディアンフルートや太鼓の音色にじっと耳を傾けていると、自分の頭の中で、イメージが大きく色鮮やかに展開されるのを感じることができます。
文字を目で追う必要がなく、さし絵でイメージを制限されることもありません。自分の思うままに、自由に自分だけの物語の世界を創り上げることができるのです。
そして、会場の古民家の雰囲気、静かに降る雨の音、頬をなでるひんやりとした風…。これらも物語の舞台装置として、イメージの世界を盛り上げます。
この“生きている”物語の体験は、読書では決して得られるものではありません。

本というものは、知識を蓄えておくものとして重宝するけれど、一方では、人の持つ創造力を制限してしまうことになるのではないか。文字にすることで、その言葉が本来持つ働きを封じ込めてしまうのではないか。…などと、本に携わる者として、いろいろ考えさせられました。

で、結果として思うのは、語られる物語を“おはなし”として体験したうえで、本を手にするのがいい、ということ。
これは砂曼荼羅でもそうだし、音楽でもそうだと思うのですが、やはりその場でしか味わえない何かがあるのです。
それを体験して、自分の細胞の中に記憶としてインプットしておけば、本や写真集、CDを手にしたときに、その場で感じた臨場感を、記憶をたどって自分の中で再現することができるのです。

物語でも映画でも音楽でも何でも、原点に当たるものからまず触れるようにすることが、“ほんもの”を知るためには大切なんだな…と思いました。

そんなわけで。『ジャンピング・マウス』の物語は、とても素晴らしいものだけれど、その魅力を本当に知りたいのならば、本を読む前にお話を聴くことをオススメします。
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# by planet_plant | 2005-07-13 15:41 | report | Trackback | Comments(0)

チベット砂曼荼羅の世界〜おまけ(^_^)

e0190756_19483835.jpg昨日、入場者全員にひとつまみの砂が配られました。
それは、さっきまで砂曼荼羅であった砂。ひとかたまりになった砂はいわゆる“砂色”なのですが、こうして一粒一粒をじっくり眺めると、それぞれに独自の色を持っていることがわかります。

「砂曼荼羅が表しているのは、ひとつの宇宙。その宇宙の構成要素である粒子と原子の象徴として“砂”が用いられているのです」
最終日に、解説の方が語った言葉が心に残りました。
砂の一粒一粒は、何てことないのだけれど、それらが集まって、しかるべき場所に配されると美しい世界を創ることができるのです。
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もし、私達の一人ひとりが、それぞれの色を持った一粒の砂と考えるならば、自分の与えられた場所で、与えられた役割を発揮することが、この世界に生きていくうえで一番大切なことなのかもしれません。

また、砂曼荼羅の一連のプロセスを、人間の一生にたとえるならば、まずは見えざる神の手によって、曼荼羅(人生)の図面が描かれ、その計画に従って、少しずつ砂曼荼羅が創られていくのです。
そして、9日目にすべてが達成すると、それは一瞬にして取り壊されて、自然のもとへと還っていきます。そして、後にも先にも残るのは、永遠の時空間。
しかし、砂曼荼羅がその時その場所に存在していたという事実に変わりはありません。

「結果を求めるのではない。本当に大切なものは、プロセスの中にある」
だからこそ、僧侶たちは砂曼荼羅を壊すことに何のためらいもないそうです。

砂曼荼羅が壊されて、壺に収められる様子を見ていたとき、私にはそれがまるで、遺体を火葬してできた灰が収められているように感じられました。
そして、隅田川にその砂が流されたとき、人生の学びを終えたすべての魂も、砂と一緒に自然へと還っていくような思いがしたのです。
(今回の川へ還す儀式は、戦後60年という節目に合わせての平和祈念と、東京大空襲で隅田川に身を投じて亡くなられた方々への供養の意味もあったのです)

正直言って、9日間の砂曼荼羅の儀式に、自分がここまで参加するとは、まったく予想もしていませんでした。
砂曼荼羅に関しては聞きかじり程度の知識しかなかったし、チベット仏教やダライ・ラマ法王のことは「地球交響曲第2番」で見たくらい。実は、特に深く傾倒しているわけではなかったのです。

連日通いつめるうちに(なぜ、自分はこのイベントに参加しているのだろう?)と、自問自答が始まっていきました。思いつきではじめたblog更新のため? …いや、違う。そして気づいたのです。「私って、煩悩のカタマリだった!」
自分の中にある、さまざまな邪心を浄化したいからこそ、プロセスをずっと見守って、砂曼荼羅の儀式とともに自分を浄化したかったのです。
しかし、連日行なわれている解説を聴くうちに、煩悩は手放すものではなく、そのエネルギーをポジティブに変えることが大切なのだということを知りました。
そう、煩悩は持っててOK。煩悩をいかにポジティブな形で発揮していくか。それは、一生をかけて行なう修行なのかもしれませんね。

とにかく、いろんなことを感じ、いろんなことを思い、いろんなことを学んだ9日間。
自分の中での整理を含めて、つらつらと書いてみました(^_^;
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# by planet_plant | 2005-07-11 11:12 | report | Trackback | Comments(0)

チベット砂曼荼羅の世界〜その9(最終日)

砂曼荼羅、ついに完成!
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あれ?昨日解説した、一番外側にあるという「金剛結界」がありません。…どうやら、地面のことみたい(^_^; つまり描かずして、地面があるんですね。

今日は最終日とあって、とにかく予想以上の大混雑。入室できずに順番を待つ列ができているため、人々はみな曼荼羅の周りを回りながら、思い思いに写真やケータイ、ビデオカメラに映像を収めていました。
そして、ついに砂曼荼羅を崩すときとなったのです。
e0190756_19372468.jpg
砂曼荼羅を取り囲むように4人の僧侶が立ち、崩すための声明を上げます(写真左)。
そして、何のためらいもなく、でき上がったばかりの砂曼荼羅に、金属の棒で筋を入れる僧侶(写真右)。この瞬間「あっ…」という声が上がりました。
9日間かけて作られた砂曼荼羅も、崩すときはほんの一瞬。色とりどりで美しかった砂は、集められてくすんだ砂色に変わるのです。
e0190756_19382886.jpgその砂は壺に入れられ、聖布(カター)が巻かれて収められました。

これで、相田みつを美術館で行なわれている「チベット砂曼荼羅の世界」は終了。今度は、場所を隅田川に移して砂を川に還す儀式になります。
…というわけで、聖路加ガーデン内の河岸公園へと移動。

ところが…ごめんなさい!m(_ _)m
川に還す儀式の写真ですが、あまりに人が多すぎて、その様子をカメラに収めることができなかったのです(>_<)

川に還す儀式は、このようにして行なわれました。
まず、4人の僧侶が、隅田川の方を向いて並び、声明を上げます。
その後、バケツを使って隅田川の川の水を汲み、その水を砂の入った壺に注ぎました(本来なら直接川の水を汲むのですが、堤防の関係で高さがあって直接は無理なため、ロープを張ったバケツを使いました)。
壺の中で砂と水が混じり合ったら、それを隅田川に流します。これもほんの一瞬のこと。
壺の下に残った砂を、もう一度水で洗い、隅田川に注ぎます。
そして、最後に声明を上げて終了。本当にあっけなく終わってしまいました。

壺から砂水が隅田川に注がれる瞬間を見たときに、込み上げるものがあった私。
頭を垂れて声明を聴いているうちに、涙がじんわりとあふれてきました。それは、ある種、葬送の儀式に立ち会っているかのような感じ…。

(9日間に渡った砂曼荼羅も、これで終わりか…)と、ぼんやり立ちすくんでいると、どうやら、隅田川の水を美術館に持ち帰って、最後の儀式が行なわれるとの情報が。
「もし、見たいという人がいたら、美術館に戻ってくださ〜い」という声に、慌てて美術館へと向かうことにしました。

e0190756_19412983.jpg自動扉が半開き、“展示は終了しました”という貼り紙のしてある中を入ります。
そして、撤収作業の横をすり抜け、砂曼荼羅を制作していた部屋へ。

ほんの数時間前、砂曼荼羅が広がっていたテーブルには、もはやその面影もなく、かろうじて曼荼羅の下書きが残るのみ。
隅田川から戻ってきた僧侶たちは、声明を上げ、壺の中に汲んできた水を使って、この下書きの線を消していきました。
そうやって、すべてが跡形もなく消え去ってしまったのです…。

色即是空、空即是色。
相田みつをの作品にもあるこの言葉が、砂曼荼羅の本質を表しています。
そして、それは人の一生でもあるんだな…と、今回の儀式に参加して強く思いました。
e0190756_1943073.jpg砂曼荼羅は消えてなくなってしまいましたが、心の中には、今も色鮮やかに砂曼荼羅が残っています。もちろん、このblogにも!(笑)
この、心の中の砂曼荼羅を大切にしていきたいですね(^_^)

ギュト寺院からやってきた4人の僧侶の笑顔はとても美しく、心が洗われる思いでした。
9日間、どうもありがとう。
そして、このレポートを楽しみに見てくださった方、どうもありがとうございました。
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# by planet_plant | 2005-07-10 23:48 | report | Trackback | Comments(0)

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