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by joker
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樹木散歩
私の住むエリアには、縄文時代からの古墳が点在しています。
つまり、古くから人間が住んでいた歴史ある土地。それゆえに、樹齢百年を超える樹木もたくさんあります。造園業や生花の栽培が盛んで、敷地内で樹木を育てる家が多く、近所には花供養をするお寺があるなど、植物との繋がりがとても深い土地の印象。
それなので、ご縁あってこの土地に移り住めたのは、とても幸せなことだと感じています。
引っ越しをして数ヶ月も満たない頃でしょうか。自転車で通勤する道の途中2カ所に、気になる木を見つけていました。
気になる…というか、明らかに“呼ばれた”と感じるのです。いつも時間を気にしながら、その樹木をやり過ごすので、いつか時間がゆっくり取れたら…と思いつつ、早1年が経過していて。。。
そして先日、ようやくその樹木に触れることができたのです。
ひとつめは、畑の端にひっそりと立っているケヤキ。
最初にこの樹を見かけたときは気づかなかったのですが、秋になり葉を落とした姿を見たときに圧倒されてしまいました。実はこのケヤキ、1本ではなくて、2本がねじれるようにして重なり合い、空に向かって枝葉を伸ばしていたのです。
上の写真だとわかりにくいかもしれませんが、左の写真だとねじれた雰囲気が伝わりますよね。
幹の太さからも、同じくらいの樹齢と予想できます。なぜ、こんなふうに育ったのか?…はわかりませんが、毎日のようにこの樹木の横を通るたびに声をかけられているような感じがしていました。
樹の根元には枝やゴミのようなものが無造作に置かれているように見えたので(畑の所有者のゴミ捨て場?)少し心を痛めていたのですが、今日じっくりと樹の根元を見てみると、ジャガイモが根元にゴロゴロと置いてある様子は、まるでケヤキにお供えをしているかのよう。単なるゴミ置き場というわけではないのかもしれません。
いずれにしても、あまりゆっくりできる場所ではなさそうなので、少しだけ樹木からの温かなエネルギーを感じ、ご挨拶をして早々に退散しました。
そして、次に向かったのが、神社境内にあるご神木。
これはもう、遠くからも圧倒的な存在感を放っています。
ここの神社のご祭神は、五十猛神(いそのたける)。この神様は、日本を緑の地にした植林の神様なのだそうです。
樹木に会いに行く前に…と、前もってご祭神を調べたわけなのですが、これまた植物とご縁のある神様に嬉しくなりました。
お参りもしておきたいな、と本殿を目指したところ、今日は本殿の前でDSらしきゲームに興じる小学生のグループがいたので断念(ゲームに熱中しているところに「お参りさせて!」と割り込む勇気がありませんでした…汗)。
ここのご神木はシイノキです。
ブロッコリーのような樹形をしていますから、さぞかし地中に張り巡らしている根っこも、長く複雑になっているのでしょう。
幹は、大人が7〜8人で手をつないで1周するくらいのように思えます。
戦没者の慰霊碑が高くそびえ立っているのを避けるようにして、座り心地のよい根株を見つけ、そこに陣取ることにしました。
時間はたっぷりある。このご神木に背中を預けてのんびり過ごそうと思ったのです。
幼い頃は、樹があれば登らずにはいられないほど、おてんばな子どもでした。
大学時代は、なぜかバイト先の社長に「山猿」と呼ばれていました(木登り姿を見せたわけではないのに…笑)。
でも、大人になって、それ相応の年を重ねて、いつしか樹に登りたい気持ちを我慢する気持ちが出てきました。
本当は登りたい。でも、この年齢で公園の樹に一人登っていたら、変な人と思われてしまうのではないか…。そんなふうに自粛する中で、だんだん自然との関わりが薄くなっていったように思います。
同じように、内側から湧いてくる衝動も、無意識に抑える癖がついてしまいました。
本当ならば、気が狂ったように叫びたくなるときもあるし、大声で歌って踊って内側のエネルギーを昇華したいときもある。
自分の家ならば、それが可能? いえいえ、騒音を出したら隣人に迷惑がかかります。そんなふうに、周囲にばかり気を使ってしまって、自分の本心に正直でいられなくなっているのですね。
でもそれは、自分らしく生きる、自然体であり続けようとすることとはまったく逆の行為なのです。
自分に素直になっていいの?と、私はこの樹に尋ねました。自分の気持ちに正直になったら、周囲の人に迷惑をかけたり傷つけてしまったりしない?
すると、シイノキからは「問いかける相手が違いますよ」と言われたような気がしました。その瞬間、私の記憶に浮上したのは、自室の前にいるシンボルツリーの存在。
(ああ、そうやっていつも私は相談すべき身近な相手には本音をさらけ出していないのだなぁ…)と、ふと感じたのです。それは樹木に対してではく、人に対してもきっと同じことなのでしょう。
シイノキは、そんな一人の人間のちっぽけな悩みに答えるというよりは、もっと何百年、何千年という地球時間の中で“在り続けること”を体現しているように感じられました。
幹の内部が朽ち果ててもなお、空に枝葉を伸ばし、大地のエネルギーをらせん状に天へと放射する姿は、神々しくさえ思えました。
つまり、古くから人間が住んでいた歴史ある土地。それゆえに、樹齢百年を超える樹木もたくさんあります。造園業や生花の栽培が盛んで、敷地内で樹木を育てる家が多く、近所には花供養をするお寺があるなど、植物との繋がりがとても深い土地の印象。
それなので、ご縁あってこの土地に移り住めたのは、とても幸せなことだと感じています。
引っ越しをして数ヶ月も満たない頃でしょうか。自転車で通勤する道の途中2カ所に、気になる木を見つけていました。
気になる…というか、明らかに“呼ばれた”と感じるのです。いつも時間を気にしながら、その樹木をやり過ごすので、いつか時間がゆっくり取れたら…と思いつつ、早1年が経過していて。。。
そして先日、ようやくその樹木に触れることができたのです。
最初にこの樹を見かけたときは気づかなかったのですが、秋になり葉を落とした姿を見たときに圧倒されてしまいました。実はこのケヤキ、1本ではなくて、2本がねじれるようにして重なり合い、空に向かって枝葉を伸ばしていたのです。
上の写真だとわかりにくいかもしれませんが、左の写真だとねじれた雰囲気が伝わりますよね。
幹の太さからも、同じくらいの樹齢と予想できます。なぜ、こんなふうに育ったのか?…はわかりませんが、毎日のようにこの樹木の横を通るたびに声をかけられているような感じがしていました。
樹の根元には枝やゴミのようなものが無造作に置かれているように見えたので(畑の所有者のゴミ捨て場?)少し心を痛めていたのですが、今日じっくりと樹の根元を見てみると、ジャガイモが根元にゴロゴロと置いてある様子は、まるでケヤキにお供えをしているかのよう。単なるゴミ置き場というわけではないのかもしれません。
いずれにしても、あまりゆっくりできる場所ではなさそうなので、少しだけ樹木からの温かなエネルギーを感じ、ご挨拶をして早々に退散しました。
そして、次に向かったのが、神社境内にあるご神木。
これはもう、遠くからも圧倒的な存在感を放っています。
樹木に会いに行く前に…と、前もってご祭神を調べたわけなのですが、これまた植物とご縁のある神様に嬉しくなりました。
お参りもしておきたいな、と本殿を目指したところ、今日は本殿の前でDSらしきゲームに興じる小学生のグループがいたので断念(ゲームに熱中しているところに「お参りさせて!」と割り込む勇気がありませんでした…汗)。
ここのご神木はシイノキです。
ブロッコリーのような樹形をしていますから、さぞかし地中に張り巡らしている根っこも、長く複雑になっているのでしょう。
幹は、大人が7〜8人で手をつないで1周するくらいのように思えます。
戦没者の慰霊碑が高くそびえ立っているのを避けるようにして、座り心地のよい根株を見つけ、そこに陣取ることにしました。
時間はたっぷりある。このご神木に背中を預けてのんびり過ごそうと思ったのです。
幼い頃は、樹があれば登らずにはいられないほど、おてんばな子どもでした。
大学時代は、なぜかバイト先の社長に「山猿」と呼ばれていました(木登り姿を見せたわけではないのに…笑)。
でも、大人になって、それ相応の年を重ねて、いつしか樹に登りたい気持ちを我慢する気持ちが出てきました。
本当は登りたい。でも、この年齢で公園の樹に一人登っていたら、変な人と思われてしまうのではないか…。そんなふうに自粛する中で、だんだん自然との関わりが薄くなっていったように思います。
同じように、内側から湧いてくる衝動も、無意識に抑える癖がついてしまいました。
本当ならば、気が狂ったように叫びたくなるときもあるし、大声で歌って踊って内側のエネルギーを昇華したいときもある。
自分の家ならば、それが可能? いえいえ、騒音を出したら隣人に迷惑がかかります。そんなふうに、周囲にばかり気を使ってしまって、自分の本心に正直でいられなくなっているのですね。
でもそれは、自分らしく生きる、自然体であり続けようとすることとはまったく逆の行為なのです。
自分に素直になっていいの?と、私はこの樹に尋ねました。自分の気持ちに正直になったら、周囲の人に迷惑をかけたり傷つけてしまったりしない?
すると、シイノキからは「問いかける相手が違いますよ」と言われたような気がしました。その瞬間、私の記憶に浮上したのは、自室の前にいるシンボルツリーの存在。
(ああ、そうやっていつも私は相談すべき身近な相手には本音をさらけ出していないのだなぁ…)と、ふと感じたのです。それは樹木に対してではく、人に対してもきっと同じことなのでしょう。
シイノキは、そんな一人の人間のちっぽけな悩みに答えるというよりは、もっと何百年、何千年という地球時間の中で“在り続けること”を体現しているように感じられました。
幹の内部が朽ち果ててもなお、空に枝葉を伸ばし、大地のエネルギーをらせん状に天へと放射する姿は、神々しくさえ思えました。
by planet_plant
| 2013-08-27 23:37
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